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  1. 学位論文
  2. 博士論文
  3. 学位授与年月日:2017.09.25

東アジアにおける黄檗建築様式・技術の伝播に関する研究―黄檗天井と唐破風を中心に

http://hdl.handle.net/10212/2424
http://hdl.handle.net/10212/2424
a2cfdf11-7696-47b7-9a1a-a478219d02c2
名前 / ファイル ライセンス アクション
D1-0848_y1.pdf 内容の要約 (96.3 KB)
D1-0848.pdf 内容・審査結果の要旨 (238.1 KB)
Item type 学位論文 / Thesis or Dissertation(1)
公開日 2019-09-17
タイトル
タイトル 東アジアにおける黄檗建築様式・技術の伝播に関する研究―黄檗天井と唐破風を中心に
言語 ja
その他のタイトル
その他のタイトル A study on the Ôbaku style architecture in East Asia―focusing on Ôbaku ceiling and the Kara hafu
言語 en
作成者 李, 長蔚

× 李, 長蔚

ja 李, 長蔚

ja-Kana リ, チョウイ

Search repository
アクセス権
アクセス権 open access
アクセス権URI http://purl.org/coar/access_right/c_abf2
主題
言語 ja
主題Scheme Other
主題 黄檗建築
主題
言語 ja
主題Scheme Other
主題 黄檗天井
主題
言語 ja
主題Scheme Other
主題 唐破風
内容記述
内容記述タイプ Abstract
内容記述 日本の黄檗建築様式は、中国の明代末期に中国の南方、特に福建から日本への影響で形成された江戸時代の新たな建築様式である。一方、台湾の寺廟建築は、中国の明代から清代頃までに、中国南方の福建や広東などの地方から伝えられた様式である。 黄檗建築様式、中国福建建築、台湾寺廟建築について、各々の先行研究を概観する。黄檗様建築は近世建築史の重要な課題の一つであり、先行研究によって明らかにされたことも少なくない。山本輝雄氏は伽藍全体と坐禅を行う修行空間の関係性についての研究や黄檗派寺院の建築形態の江戸時代における特異性についての研究など、多く成果をあげた。しかし、黄檗様建築の淵源をたずねる研究は殆どなく、この問題について展望を得るに至っていない。 本研究では東アジア建築文化圏という地域において、建築の特徴を考察し、日本の黄檗建築様式と中国福建省の明清建築と台湾の寺廟建築の比較研究を行った。本論の考察によれば、黄檗建築様式は架構形式や細部や建築装飾などの特徴において、中国福建省の明清建築や台湾の寺廟建築との共通点が少ない。しかし、注目すべき共通点は黄檗天井である。そこで、本論文は、黄檗天井の源流とその受容の過程を明らかにすることを目的とする。 本論文は、序論、4章からなる本論及び結論の全6章で構成される。以下に、各章の概要を記す。序章では、序論として本研究における目的と問題意識を提示し、既往研究に触れながら本研究の視座について述べ、論文の構成を示す。 第一章では、明清時代の中国福建省建築と江戸時代の黄檗建築様式、17世紀以前・19世紀以後の台湾寺廟建築を対象とし、伝播のあり方を考察する。福建省の建築様式・技術は地方により特色が大きく異なる。日本の黄檗建築様式は一つの建築様式・技術ではなく、中国の四つ地方の建築の影響を受けている。また、日本の黄檗建築様式・技術は、部分的に日本の禅宗様と和様の折衷様式と融合されている。明清時代の台湾寺廟建築は福建省建築に直接大きな影響を受けている。しかし、細部装飾には台湾独自の紋様や題材が発展していった。このような黄檗建築を説明するにあたり、「擬様式」という概念を用いたい。 本章の考察により、長崎の四福寺の構造形式と細部を見た結果、長崎興福寺と崇福寺は中国から直輸入であると考える。一方で、寛文元年(1661)に創建された京都の萬福寺は江戸時代に長崎唐寺を日本の大工が見よう見まねで建てた建築であると考える。 すなわち、長崎の興福寺と崇福寺を「黄檗建築様式」と呼ぶならば、京都の萬福寺は長崎の寺を手本とした「擬黄檗建築様式」ではないかと考えられる。或いは、「擬明風建築」とも言える。 この新たな2つの様式区分には、実は明確な違いが指摘できる。例えば「黄檗建築」が天井を張らず化粧小屋であるのに対し、「擬黄檗建築」には天井が張られ野小屋がつくられる。そのほか、柱の上に組物を用いるか否かなどの相違点がある。 このように「擬洋風建築」の観点から黄檗建築様式をみると、「黄檗建築」は基本的には中国の建築文化の流れに位置するのに対し、「擬黄檗建築」は日本の建築文化に属していると言える。またこれらの建築は、日本の中で建てられたことで互いの技術や意匠の影響を与え合っていると考えられる。 第二章では、宋元時代の絵巻に見る捲棚の画像と中国北系捲棚建築の様相と中国南系建築捲棚の様相を取りあげ、全体像を把握する。宋元画に見られる捲棚を考察した結果、二類型に分類できた。一つは、建物の入り口の意匠として作られた妻入りの捲棚で、これは唐破風造の曲面屋根と似ている。もう一つは、建物の前面に設けられた平入りの捲棚である。 現存する遺構を考察すると、中国北方系の建築には、捲棚の形が外部に現れた屋根が多く、南方系の建築は内部の天井が捲棚の形をしたものが多い。中国南方系には、内部が輪垂木のような湾曲形態の捲棚構造でありながら、外観の屋根から見えない遺構が存在する。逆に、中国北系には、外観は捲棚の屋根でありながら、内部の天井は通常のまっすぐな化粧垂木となっている遺構が存在する。捲棚の屋根が応用された建築も二種の類型に分けることができる。楼閣建築の入り口と庭園建築の場合は捲棚が多いことがわかった。 第三章では前章を基礎として、中国及び東アジア各国の建築に見られる起り状に弯曲した天井である「捲篷」(日本では「黄檗天井」)について、その源流と変遷の過程を考察する。捲篷は、殿堂建築の天井からの転化ではなく、屋根から、しかも船舶・車両の屋根として発生した起り状屋根から転化したものと考えられる。船舶・車両には耐衝撃性と耐候性が求められるため、輪垂木を用い植物性の材料で葺いた弯曲した屋根が用いられた。それが建築に用いられるようになり、瓦葺のものが登場するとともに、建物の正面に起り状屋根の棟が付加された形式が生まれた。この形式を草架という小屋組で覆うことで、天井としての捲篷が成立したものと考えられる。 第四章では、唐破風の源流に関する研究を整理・再検討し、続いて唐破風の架構とその役割を分析し、そして唐破風の源流を再定義する。太田博太郎氏は、唐破風は日本で独自に成立したと論じているが、中国の捲棚屋根は日本の唐破風とよく似た曲面を持っている。唐破風は平唐門・軒唐破風・妻入り唐破風造の三種に大別され、このうち最も早く平安時代に誕生した平唐門は、意匠は上土門、構造は古代の棟門を源流として成立したと考えられる。 以下に、各章の研究結論を記す。 第一章では、福建省の建築様式・技術の諸相について取り上げる。福建省建築は地方によって特色が大きく異なる。明代の建築には宋代の細部が残されているが、修理の履歴が多く、その様式の変化も大きく見える。清代の建築は、荘厳な意匠が発展する。 日本の黄檗様建築は福建省の四地方の建築の影響を受けるだけではなく、福建省以外に江蘇省や浙江省の影響も受けている。日本の黄檗様建築様式・技術は、部分的に日本の禅宗様と和様の折衷様式と融合されている。 明清時代の台湾寺廟建築は福建省建築に直接大きな影響を受けている。しかし十九世紀以後、細部装飾には台湾独自の紋様や題材が発展していった。 また、長崎の四福寺に関して、「擬洋風建築」の観点から黄檗様式建築をみると、崇福寺などの「黄檗様式」は基本的には中国の建築文化の流れに位置するのに対し、聖福寺などの「擬黄檗様式」は日本の建築文化に属している。またこれらの建築は、日本の中で建てられたことで互いの技術や意匠の影響を与え合っているといえる。 第二章では、宋元時代の絵巻に見る捲棚の図と中国北系捲棚建築の様相、及び中国南系建築捲棚の様相を取りあげ、全体像を把握する。宋元画に見られる捲棚を考察した結果、二類型に分類できた。一つは、建物の入り口の意匠として作られた妻入りの捲棚で、これは唐破風造の曲面屋根と似ている。もう一つは、建物の前面に設けられた平入りの捲棚である。現存する遺構を考察すると、中国北方系の建築には、捲棚の形が外部に現れた屋根が多く、南方系の建築は内部の天井が捲棚の形をしたものが多い。中国南方系には、内部が輪垂木のような湾曲形態の捲棚構造でありながら、外観の屋根から見えない遺構が存在する。逆に、中国北系には、外観は捲棚の屋根でありながら、内部の天井は通常のまっすぐな化粧垂木となっている遺構が存在する。捲棚の屋根が応用された建築も二種の類型に分けることができる。楼閣建築の入り口と庭園建築の場合は捲棚が多いことがわかった。 また、捲棚と捲蓬の架構に関しては、中国北系の建築においては裏天井板の材料は板が多いのに対し、南系の建築においては望磚が多い。裏天井板の葺き方向は、北系がほぼ横葺きであり、南系は縦葺きが多く見られる。北系の桁は丸断面が多く、南系は角断面と丸断面の両方が見られる。垂木断面は南北系とも角丸断面を持っているが、南系の断面は扁平である。これは構造的には天井の垂木が屋根を支える必要が無いためと考える。桁の本数については、北系の捲棚では偶数桁の方が多い。南系の捲蓬においては奇数と偶数桁が半々である。また、入り口に関しては、妻入りは一切見られず、全て平入りである。 第三章では前章を基礎として、中国及び東アジア各国の建築に見られる起り状に弯曲した天井である「捲篷」(日本では「黄檗天井」)について、その源流と変遷の過程を考察する。捲篷は、殿堂建築の天井からの転化ではなく、屋根から、しかも船舶・車両の屋根として発生した起り状屋根から転化したものと考えられる。船舶・車両には耐衝撃性と耐候性が求められるため、輪垂木を用い植物性の材料で葺いた弯曲した屋根が用いられた。それが建築に用いられるようになり、瓦葺のものが登場するとともに、建物の正面に起り状屋根の棟が付加された形式が生まれた。この形式を草架という小屋組で覆うことで、天井としての捲篷が成立したものと考えられる。 第四章では、唐破風の源流に関する研究を整理・再検討し、続いて唐破風の架構とその役割を分析し、そして唐破風の源流を再定義する。太田博太郎氏は、唐破風は日本で独自に成立したと論じているが、中国の捲棚屋根は日本の唐破風とよく似た曲面を持っている。唐破風は平唐門・軒唐破風・妻入り唐破風造の三種に大別され、このうち最も早く平安時代に誕生した平唐門は、意匠は上土門、構造は古代の棟門を源流として成立したと考えられる。鎌倉時代には、中国由来の唐車・唐屋形船や宋代絵画に描かれた捲棚屋根を原型として、割拝殿に見られる唐破風造や軒唐破風が成立し、平唐門の構造も平入捲棚屋根の影響を受けて変化した。室町時代に入ると、これらの意匠・構造が混合して向唐門・妻入り唐破風造が成立したと考えられる。つまり、唐破風の源流は日本の上土門が挙げられると共に、中国の捲棚屋根を想定する必要があるものと結論付けられる。こうした複雑な源流を持った唐破風の手法は近世の黄檗天井にも用いられた。
言語 ja
日付
日付 2017-09-25
日付タイプ Issued
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_db06
資源タイプ doctoral thesis
学位授与番号
学位授与番号 甲第848号
学位名
言語 ja
学位名 博士(学術)
学位授与年月日
学位授与年月日 2017-09-25
学位授与機関
学位授与機関識別子Scheme kakenhi
学位授与機関識別子 14303
言語 ja
学位授与機関名 京都工芸繊維大学
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Ver.1 2025-09-08 01:27:09.267587
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